2025年、登録名を本名の源藏(げんぞう)に戻して心機一転を図る。「ゲンちゃん」の愛称で親しまれてきた時松源藏選手は、デビューから13年間「隆光(りゅうこう)」の名でツアーを戦ってきました。
10本すべての指でグリップを握るベースボールグリップと、その誰にもまねできない安定感。
16年にチャレンジツアー優勝で出場権を得た大会でツアー初優勝を飾り、17年・18年にも1勝ずつを重ねてトッププロの地位を築いてきました。
コロナ禍では選手会長として業界を支えた男が、今、本名を名乗り直して再出発に挑んでいます。
原点と学生時代
1993年9月7日、福岡県那珂川市生まれ。生後4カ月で先天性心房中隔欠損症と診断され、4歳で手術を受けました。
その子に、父はクラブを持たせることにしました。少しでも元気になってほしいという思いから、ゴルフを握らせたのが始まりです。
病から生まれた縁が、その後の人生を決めることになりました。
幼い頃から師匠の篠塚武久コーチの指導を受け、当時から一貫して野球のバットのように握るベースボールグリップでプレー。
このグリップは篠塚コーチが教えたものですが、そのままプロになっても変えていません。
2009年、沖学園高校1年生でレギュラーになり、その年の全国高等学校ゴルフ選手権で団体戦優勝に輝きます。
2011年には日本ジュニアのナショナルチームに選ばれ、世界ジュニアゴルフ選手権で個人戦3位入賞。
翌2011年には九州アマも制し、アマチュアとして十分な実績を積んでいきました。
2012年に高校卒業後、プロ転向。このとき、地元福岡のお寺のご住職から授かった「隆光(りゅうこう)」を登録名として戦い始めます。
プロ入り後の歩みと転機
15年まではシードに届かなかった。3年間、下部のチャレンジツアーを主戦場に力を積み重ねる日々が続きました。
2015年に日本プロゴルフ協会公認のプロテストに1位合格し、JPGAツアープロとなります。
転機は2016年の夏です。7月上旬のJGTOチャレンジツアー「ジャパンクリエイトチャレンジ in 福岡雷山」でプロ初優勝。
この優勝でレギュラーツアーの「ダンロップ・スリクソン福島オープン」出場権を獲得し、本戦では3日目に首位に立ち、最終日には2位に3打差をつけてツアー初優勝を果たしました。
この優勝は通算25アンダーで大会新記録という快挙でした。
さらにチャレンジツアー優勝資格で出場した選手による公式ツアートーナメントの初優勝者という壮挙も達成することになりました。「シンデレラボーイ」と呼ばれ、一気に注目を集めます。
その後も着実に実績を積み、17年に「ブリヂストンオープン」、18年に「関西オープン」とタイトルを重ねていきます。
コロナ禍の20年から21年は、選手会長として苦境打開に向けて東奔西走。
優勝こそありませんでしたが存在感は際立っていました。
前任の石川遼から引き継いだポジションで、わずか26歳ながら業界の約200人の顔として奮闘した2年間でした。
師匠の篠塚武久コーチは「実力だけでなく人格的に認められたということ」と語り、石川遼も「非常に謙虚だし、周りをよく見られる」と信頼を寄せました。
23年まで7季連続でシードを守ってきましたが、24年は調子が上がらず賞金ランク74位で陥落。
それでもQTでは14位に入って前半戦出場権をつかみ取りました。
2025年、登録名を本名の源藏に戻した理由の一つは「心機一転」。
それまでは「なぜあだ名がゲンちゃんなのか」とファンに説明し続ける必要があったが、本名に戻すことでその必要もなくなりました。
昨年の韓国での入国審査でエントリー表とパスポートの名前が一致せず、えらく手間取ったことも一因だったといいます。14年越しの原点回帰です。
プレースタイルの特徴と主な実績
時松の打撃の核心はベースボールグリップにあります。
10本の指をグリップにかけるため、負担が少なくケガもしづらい。飛距離より方向性の良さで勝負する安定感はツアーでも屈指です。
平均飛距離は270ヤードで男子プロの中では飛ばす方ではありませんが、フェアウェイキープ率で上位に入り、パーキープ率も高い水準を維持してきました。
「粘ってパーを取っていき、チャンスと見たらバーディをもぎとる」堅実なプレースタイルです。
師匠の篠塚氏が証言するように、優勝してもガッツポーズをせず、まず相手に礼を尽くす。
「東はイケメンの石川遼、西はココロの時松源蔵」と称された人柄が、選手会長への信任につながっていきました。
主な実績は、ツアー通算3勝(2016年「ダンロップ・スリクソン福島オープン」、2017年「ブリヂストンオープン」、2018年「関西オープン」)、ツアー対象外競技のネスレマッチプレーでの優勝も含め、2016年は賞金1億円を獲得しています。
まとめ
心臓の手術を受けた4歳の男の子が、父からクラブを握らされてゴルフを始めました。
そのまま一切グリップを変えずに、チャレンジツアーから這い上がり、3つのタイトルを手にし、選手会長としてコロナ禍を支えた。
シードを失った2024年を経て、今は本名を名乗り直して戦っています。
7年ぶりとなる通算4勝目を今季の目標に掲げ、「去年はショットも、アプローチもパットも全部だめでした。今年はすべてにおいて底上げして挑みたい」と語りました。
「ゲンちゃん」から「源藏」へ。名前の一致が、プレーの充実にもつながるかどうか。
今のツアーでその答えを出そうとしている挑戦はまだ続いています。








